船水颯人さんが日本ソフトテニス界で初のプロになったと知ってふと昔を思い出した

ソフトテニス(軟式テニス)ファンの方は
船水颯人さんのことはよ~く知っていると思います。

簡単に言うと世界トップクラスの技術を持ち
尚且つジャニーズ風のルックスをしたソフトテニス界のスターです。

そんな船水颯人さんがヨネックスとプロ契約を結びました。

日本ではソフトテニスプレーヤーがプロになったのは初めてです。

つまり第一号です。

つい嬉しくなったので少しソフトテニスをやっていた頃を思い出してしまいました。

ソフトテニスに打ち込んだ日々

私は中学・高校・大学とソフトテニスをやっていました。

特に高校時代は青春の全てをソフトテニスに費やしました。

自分の家の中でラケットを握ってついつい軽く素振りを始めてしまい、
その結果何度も蛍光灯を打ち落とした経験があります。

中学の頃はまだソフトテニスではなく軟式テニスと呼ばれていました。

また私の中学はとても弱く軟弱テニス部と呼ばれていました。。。

その中学では私はエースでしたが、正直高校に行ったときには
全く通用せず最初は嫌になった記憶があります。

それでも熱心な先生(顧問)に恵まれたため、
毎日遅くまで練習・筋トレ・走りこみをしていました。

朝から晩までソフトテニスのことを考えていました。

確かその頃に軟式テニスがソフトテニスと正式に呼ばれるようになったと思います。

ソフトテニスのルールについては私は3種類経験しました。

初期ルール

完全に前衛と後衛に分かれていた頃の話です。

私は前衛だったのでサーブは打ちませんでした。

基本的にストロークはレシーブのときのみだったので、
打ち方で前衛か後衛か分かりました。

とりあえずネットについてしまえば自分の仕事ができるので、
前衛の場合はバックが全く打てなくてもある程度何とかなる時代でした。

第二期ルール

前衛もサーブを打つようになった時代です。

変わった直後はダブルフォールトの嵐でしたね。

ちらほら平行陣というのも出てきた頃です。

ちなみにサーブを打つまではレシーバー以外の3人(ダブルス)は、
コートの中に入る事ができませんでした。

つまり前衛はサーブを打ったと同時にコートをダッシュして、
ネットにつく必要がありました。

フォールトすると再度やりなおしで大変疲れましたね。

ちなみにサーブを打つまでにコートに入ってしまうと、
ファウルと言って失点になります。

でもほとんどファウルを取る審判はいなかったし、
私がファウルを取ったときは「お前細かいな~」という雰囲気がプンプン漂っていたのを覚えています。

正直このルールは微妙だなとずっと思ってました。

この頃は後衛がボレーやスマッシュの練習をするよりも、
前衛が後衛の練習をする方が重要視されていたと思います。

乱暴な言い方をするとルールが変わった直後は、
圧倒的に前衛が大変な時期だったと思います。

現行ルール

実は私はこのルールはほとんど経験していません。

でもルールとしては一番バランスが良いなと思っています。

最近の試合はyoutubeで見ています。

十何年もずっとソフトテニスから離れていましたが、
急に見てみようということになりました。

プレーに幅が出来て自由な攻め方をしているプレーヤーが増えたと思います。

私の旧石器時代ではスライスや逆面ショットなどは、
イカサマというか一般的には好ましく思われていない傾向がありました。

ちょっと懐かしくなったのでたまにソフトテニスに関することも呟いていこうかなと思います。

以上、船水颯人さんがプロになったので勝手に昔を懐かしんでしまったの回でした(笑)

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